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繁忙期とそうでない時期とでは、当然“活動”に差が出ます。特に、自分自身の“繁忙期”と“閑散期”は、効果的に分けてしまいたいところですが、それが関与先や関係先に“どう映るか”については、改めて考える必要があるかも知れません。そこに“提案の成否”の秘密が隠れていたりするからです。
更には、関与先の繁忙期や閑散期には、どう対処すればよいのでしょうか。ここにも意外な“ツボ”がありそうなのです。
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【01】 企業のために“粉骨砕身”の努力をしても… |
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ビジネスに限らず、“一般的”に言えることかも知れませんが、私たちには“他者にした”ことはよく覚えていても、“他者からされた”ことは、忘れやすい傾向があります。他者のことを“自分事”のようには意識できないからでしょう。
たとえば、顧客企業のため“粉骨砕身”努力したような時、努力した側には『私は十分過ぎる貢献をした。今度は貢献される番だ』という思いが発生しやすい一方で、顧客企業には“してもらった”という印象がほとんど残らないケースがあり得ると言うことです。
“だから人間どうあるべきか”などを考えるつもりはありません。考えて直るものでもなさそうだからです。そのため“自他を直そう”とするより、“そんなものだ”と深く認識しておく方が大事なのだと思います。“直そうとする前に事実を深く認識せよ”ということです。
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【02】 繁忙期こそ取り組まなければならないこととは? |
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そうすると、たとえば“(自分の)繁忙期”に関する考え方も変わって来るかも知れません。繁忙期は、多大な業務で“やっている感”が自分の中に爆発的に発生するため、特に気を付けなければならないのです。何に気を付けるのでしょうか。
気を付けるべきことを一言で言い切るなら、“決して相手には伝わっていない”という悲しいほどの現実だと言えるかも知れません。粉骨砕身の自己犠牲は、相手がよほどの人物でない限り、容易には伝わらないのです。
それでも“契約以上にしてあげた”という思いを残してしまい、次に何かを要求すると、顧客企業サイドでは『要求の多い先生だなあ』という印象が発生します。かくして『何でもかんでもやらそうとする経営者だ』という先生サイドの思いと、『顧問契約の範囲内の仕事も渋る』という経営者側の感覚が、驚くべきことに“両立”してしまうのです。
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【03】 有名“税”ならぬ“見識税” |
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これは先生方にとっては、一見“不公平”に映るかも知れませんが、専門見識を持つ側の“税金”、つまり“見識税”とも言えるものかも知れません。見識を持つ側は業務内容の困難さを“理解”できますが、ない側は、どんな難しい業務も“簡単”に見えて、感謝の念が起きません。その隙間を埋める努力は、ほとんどいつも、“見識者”サイドが払わなければならないという意味で“税”に似ているということです。
では、企業経営者は常に“得”をしているのでしょうか。否、恐らく、企業経営者も、見識のない顧客や取引先、あるいは業務内容を熟知していない“元請会社の担当者”等に、“苦い思い”をさせられていると思います。広く考えれば、“お互い様”かも知れないのです。 |
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【04】 分からない人に伝える時の言い知れぬ努力を“軽く”する方法 |
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しかし、その“見識税”、つまり見識がある側に求められる“努力”を軽くする方法はないものでしょうか。そんな“負担軽減”視点が、“繁忙期のひと手間”にあると申し上げたいのです。
たとえば、忙しく業務を行い、企業経営者と談話する時間さえ持てないような時も、たとえば“マネジメントに役立つレポート”等を経営者や窓口担当者に渡して、『一つのマネジメント事例です。お時間のある時に読んでください』と渡すだけの“ひと手間”でも構いません。
ところが、もう一つ、私達には“人としての傾向”があるため、この“繁忙期のひと手間”は、意外な効果につながることがあるのです。そこで、まずは“もう一つの傾向”から見て行くことに致しましょう。
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【05】 見落としやすい“こころ”の傾向 |
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“もう一つの傾向”とは、“私たちは自分に義務を感じた時に攻撃的になりやすい”というものです。たとえば経営者が“暇”な時、マネジメント・レポートなどを渡すと、経営者は“読まなければならない”気分に陥ります。真面目な経営者ほどそうでしょう。
読まなければいけないのに手元にレポートがある…、“経営課題”は、経営者にとっては、小学生の“宿題”のようなプレッシャーがあるものです。ところが、“先生”は忙しそうで、たぶん宿題の課題を“蒸し返す”暇もないと思えるなら、経営者は“マイペース”で“課題”に目を通すこともできます。
そのため、課題の内容云々ではなく、『先生が私のために経営課題の一例を持ってきてくれた』という“行為”そのものに対する印象が残りやすいのです。つまり、繁忙期に“マネジメント事例”などを渡すと、経営者には、自分の心の中に『今すぐ読む必要はなさそうだ』という安心感が生まれやすいため、実は“読む”可能性も高まるということなのです。先生方が『お忙しいでしょうが、置いておきます。お時間ができた時にお読みください』という一言を加えればが効くわけです。
学生時代を思い出してください。『しなければならない』というプレッシャーが強い時は、なかなか勉強に向かえなかったはずです。
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【06】 先生方の“閑散期”に気を付けるべきこと |
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では、逆に先生方の“閑散期”には、どうすべきなのでしょうか。実のところ、これも一般的な傾向として、『“繁忙期”には見向きもしないのに、暇になったら突然何かの“提案”を始める』と顧客に感じ取られたら、“閑散期”の活動は、それこそ“散々”なものになってしまいやすいのです。
そのため、むしろ“閑散期”には、業務のバージョンアップ、あるいは提案書やホームページの改良など“活動のための準備”に主眼を置くべきかも知れません。“自分が暇になったから活動を始めた”という印象を、表情や言動に“出さない”自信をお持ちの場合は、この限りではありませんが、顧客にとって『時間ができたのでお伺いしていいですか?』と問われるほど、感じの悪いものはないかも知れないのです。
ただし、もちろん、閑散期に営業活動を“してはいけない”と申し上げているわけではありません。自分が暇だから“営業活動”ができるという思いを“頭の中”から一掃してほしいと申し上げているわけです。
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【07】 つい口をついて出てしまう“言葉”が致命傷を招く? |
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そうすれば『いつもご提案したいと思っていたのですが、ついつい忙しさにかまけて…』とか、『社長、今、お忙しいですか?』とか、『お暇な時に、ご訪問したいのですが…』などという、こう言ってよければ“無神経”な表現をしなくなります。
いかなる提案であれ、“必要”だからするのであり、“暇”だからではありません。暇か忙しいかを口に出したとたんに、経営者サイドには『(自分が)暇だからこの先生は来て、私が暇なら検討する案件を説明しているのか』という印象を形成してしまいやすいのです。
経営者の企業の“繁忙期”には、特別の配慮をすべきですが、その配慮を口に出すべきではありませんし、なお重要なことがあり得るのです。
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【08】 暇な時の検討テーマには価値を感じにくい |
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その重要なこととは、私たちには“暇”な時には休みたいという思いがあって、それを邪魔されると嫌な気分になるという側面があるということです。その上、どういうわけか、“忙しい時にわざわざ時間を割いて検討したテーマ”の方が、“時間ができた時に考えた案件”より、はるかに“価値あるものだ”と感じやすい傾向もあるのです。
案外“経営者の繁忙期”での提案が、繁忙期を過ぎた後に“(契約として)実りやすい”のはそのためかも知れません。繁忙期には契約という面倒な業務は避けても、割合と“頭の中”は、むしろ閑散期よりも働いているということです。
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【09】 だから繁忙期も閑散期も気にしないのが一番なのだが… |
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面倒なことを配慮せず、シンプルに活動したい時は、相手が忙しいとか、自分が繁忙期だとか、そんなことを一切気にしないことが大事かもしれません。そうすると『私は暇だから検討するような話ではなく、どんなに忙しくても考えるべき重要課題を話しているのだ』という“本質的な強気”が、心の中で育つのを感じやすいからです。
その強気が、たとえばスポーツの勝敗を分ける“気合い”のように、営業成果を分けることもあり得るのです。ただし、常に試合に挑むのも大変なものです。そのため、経営者との“関係”を深めるための“マネジメント事例提供情報”等を持ち、とにもかくにも、そんな“事例”を手渡してみるlことから、取り組みを始めることをお勧めします。
その際の“事例レポート”は、どんなものがよいか…、以下のサイトからサンプルをご入手していただけます。
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